ある在中国日本語教師の日記

日本に居場所があんまりない在中国日本語教師日記です。

クビ。

学校の国際交流センターというところから呼び出し。

身に覚えはないにも関わらず、なんとなーく予感めいたものはありつつ、学生を通訳に連れて行って話したところ、クビ宣告。

理由は、「今学期第一回目の二年会話授業の時、15分早く授業を切り上げたから」というもの。

全員に自己紹介をさせるも時間が余ってしまい、「初回だしまあいいか」と早く切り上げたのを教務課の見回りに見られていた。

 

「その程度でクビかよ」という話なんだけど、理由はどうでもよくて辞めさせたかったのかなと思う。

例えば、もっと実績のある良さそうな先生が見つかったとか。

私も、この街に住み続けるのもどうなんだろうとなんとなく感じていたので、あっさり「そうですか」と引き下がった。

これから次の職場だの引越しだのを考えるのはかなり面倒くさいが。

 

自分で言うのもいやらしいが学生には割と好かれてる実感がある。

前の大学でも感じたが、事務方の人間とはどうも相性がよろしくないらしい。

6年前、中国で日本語教師をやろうと決めた時に思った。

学校の主役は学生である。

事務方や他の先生からの評価はいらない。

先生は学生からの評価が全てだ。

(と言っても、普段トンガって事務や他の先生と衝突してるわけではなく、むしろ大した自己主張もせず穏便に振舞ってるはずなのだが)

 

まあどんな人間にも好き嫌いはありますわ。

事務方のエラい先生と社交的に付き合えてたわけでもなく、いかにも仕事できる有能な人材感を出してたわけでもなく、「なんだこの愛想もない、仕事もできなさそうな日本人は」と思われてたとしても不思議はない。

「こいつ、なんか嫌い、合わない」という個人的感情で組織のいろんなことが結構決まってると思う。

 

通訳についてきてもらった学生が帰り道、「先生はいい先生だと思います。すみません」と言った。

なんで彼女が謝るのかわからないが。

そういえば、この学生は日本語作文コンクール(なぜか以前学校から参加自粛させれられた)に応募し、見事三等賞を受賞したのだった。

その際に指導したのだが、あるいはそういうところが学校側にバレたのだろうか。

 

ウェイシン(微信)を見ると、私が古典文法の授業で紹介した『梁塵秘抄』の

「遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけむ

遊ぶ子供の声聞けば

我が身さえこそ動がるれ」

という歌に学生が興味を持ってくれていて、「いい歌だ。古典はすごく難しいけどやる気が出てきた」という書き込みを発見した。

 

少し心がささくれ立ってたけど、こういう書き込みを見ると本当に教師をやっててよかったと思う。

 

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